日本の神様に関する精神世界(〃⌒ー⌒〃)∫ |
徳とは・・・
|
雪州の足跡トップページ
徳とは・・・
徳という意味が解らない人でも、言葉にして説明は出来ないけれど、何となくぼんやりわかるというのが実状といったところでしょう。 ヽ('ー`)ノ
あの人は徳がある \(^^@) っていう使い方しますよね・・・。
(〃⌒ー⌒〃)∫゛
その徳には 神徳 人徳 地徳の三つがあり、人生の三種の神器とも言えます。
電柱|ー ̄)δ――――・ふふふ
|
|
ちなみに昭和の三種の神器は冷蔵庫、洗濯機、テレビと言われてましたね。(笑)
三種の神器を知らない人の為にプチウケ古事記の何処かで触れます。___ψ(‥ ) カキカキ
・・・たぶん。 (((((っ-_-)っ ソロリ ソロリ |
つまり徳が無いと人生うまくいきません。。。
前世で、ものすごい徳分を積んでいる人は生まれ持っての幸運を授かって生まれてきます。
身近にいませんか?
さほど努力もしてなさそうなのに運が良くて、やりたい放題の人って・・・ヾ( ̄o ̄;)
でも僻んだり、妬んだり、嫉むことはやめましょう。
あなたの運を確実に下げるので・・・ヾ( ̄o ̄;)
あなたに辛い学びがあるように、その人にはその人のステージで辛い学びが必ずあるんです。
その学びから逃れる事は不可能です。
その辺りをふまえて、この世は平等だと言われているのです。
でもこの世はお金がないと生活できないので、なかなかそう聖人君子のように思えないと感じる方も多いことと思われます。
だからこの世で自分の幸せという高みに近づけるよう、徳を積みましょう。
徳には大別して、神徳・人徳・地徳に別けられています。
神域での奉納。寄付という形でもよいし、御祈祷を受けて祈祷奉納という形でも良いです。
パワースポットと呼ばれる神域に通いたおしてください。(笑)
境内での参拝時に、投げたり放ったりして賽銭箱に入れる方がいらっしゃいますが、神様は恵んでもらう立場ではありませんので勘違いなさらぬよう、態度と考え方を改めなければなりません。
賽銭を賽銭箱へ奉納する場合には、賽銭を摘んだ手にもう片側の手を添えて、頭を下げながら謹んで目上の方にお渡しするつもりで入れてください。
これは紙幣でも同様です。
|
神様はあなたの祈願は何でもお見通しなので、境内前での参拝時は『この賽銭でこの神域が保たれますように・・・保たれますように・・・』と祈るようにしてください。
(そもそも参拝するのに、山や木ではなく、信仰する建物や対象物をねだったのは人間です。)
また、いままで神社なんて・・・とか、神様なんて・・・等と思って生きてきて来られた方は『いままで反逆してきて申し訳ございませんでしたぁ~!゜゜(ノ_<。)゜ ゜。 』と魂が奮えるくらいの姿勢で参拝してください。
そういう方には必ずといって良い程、奇跡が起きます。
神が神の存在を教えたいからです。
もちろん礼儀をわきまえた参拝で、その想いが真の心から出ている場合であればの話ですが・・・(¬_¬)
境内でお参りしても必ず御祈祷は受けてください。これは正式参拝と言って、訪問先の会社の前で挨拶するのではなく、社長室に通されて社長と直々に目通りすることと同じことなのです。
ご自身で神を降ろすことを行うことができる方なら別ですが、お社の外と中とでは御神氣が雲泥の差として現れます。
因みに迎神法を使える立場であったとしても、雪州なら祈祷拝殿、もしくは御垣内の中で拝謁いたします。
伊勢神宮などは御垣内の外の正殿参拝と、御垣内での参拝とでは天と地ほどの差を表すほどに神氣の差があるくらいです。
さて、一番の注意事項ですが、あれだけの金額を納めたから御利益あるだろぅ~などとはお考えにならぬように・・・。
先にも記しましたが、神様は恵んで貰う立場ではありません。
神徳だけでなく、人徳、地徳でもそうですが、恩着せがましさや打算を持つ事によってその徳は一瞬で消失してしまいます。
徳を積むのは簡単ではありませんが、失う時には一瞬です。
シビアな世界と感じられるかも知れませんが、人との付き合いと同じです。
いつでも見返りのない無償の愛が徳分を増やします。
じゃあ、神社でお願いできないじゃん!って話になりますよね。 (笑)
ほとんどの方が御存知ないと思うのですが、元来 神社参拝とはお願いする場所ではなく、決意表明を発願する神聖な場所なんです。ヽ('ー`)ノ
わたしは○○○をします。○○大神、(○○命)その営みに神の甚大なる後押しを祈願申し上げます』
(まあ、これもお願いではあるけれど、皆さんがいつも参拝しているのとは随分異なります。)
・・・と、このような感じか、(◜◔。◔◝)現在完了形のお礼で神様に決意を表明するのです。
その行為があなたにとって進む道、もしくは正道であれば凄まじき力が働きます。
神様から見ればあなたのことは先の事までわかっているので、それを叶えることがあなたの為にならない、もしくはあなたの進む道でないとすれば叶えられませんし、正道であっても時期が早いと止められることもあります。
急がば廻れというやつです。ただ叶えられなかった場合でも無駄はなく、その進んでいった道で経験したことは後の貴方にとって必要不可欠なものであり、至宝となることは間違いありません。
風神の術!(/^^)/ビュゥゥゥゥξξ (+_+ /)/ヒェ~~ |
人徳はすべての方を対象とする永遠の課題です。
なかなか行動にして無償の愛を行うのは誰にでも難しい事です。
でも祈ることでも徳って積めるんですよ。ヽ('ー`)ノ
『この地球上のすべてが繁栄しますように・・・』とか、『世界平和が続きますように・・・』でもいいでしょう。
もしその祈りが強く継続的なエネルギーならば、繁栄の祈りが巡り巡って自分にやってきます。
どれだけ人の世話をしたり、喜ぶことをしてあげていても、『やってやった!』とか、やったことに対する自己満足の恩着せがましい心が入った時点で、別のことで積めた徳分までもが、一瞬にして無くなってしまう事があります。
肝に銘じていただきたいのですが、自分がやってやったと思う時というのは、大抵相手はそうは思っていません。
何氣なく行った親切がいつまでも恩に感じていただけるものです。ヽ('ー`)ノ
親切に見返りを求めて行うことは、徳積みになりませんので無我無心で行うようになさってください。
話は少し変わりますが、昔から飼い犬に噛まれるという表現があります。
これは散々世話をしてやったのに裏切られたという意味を例えで犬を用いています。
猫を可愛がる人は自分から率先して可愛がったり世話をしたりする傾向がありますが、犬を飼う方というのは見返りを求める傾向が極めて強いということを昔の人は既に知っていたのです。(このことは心理学の世界でも統計上証明されたようです。)
お子さんをお持ちのお父さんお母さんが、御縁あってこのページを読んでいていただけていたとしたら、チャンスかもしれません。(笑)
子育てとはボランティアです。
それが無償の愛です。
無償の愛がそうでなくなる時は、大きくなったら面倒見て貰おうとか、今まで育ててやったのに・・・といったことを強要したり、自分たちの理想で子供の人生のレールを強いてしまった時などです。
もちろん、今までの無償の愛の徳分が失われます。
人間心の子供の言い分として、誰も生んでくれと頼んでいない訳ですから(本当はどの親の元に生まれて来るかを選んで降りてきてはいる。)、今まで育ててやったのに・・・という言葉は、決して口から出してはいけない言葉のひとつです。
例えとして、どうしても家業をお子さんに継いで貰いたい場合、継ぎたくなるような親の背中を見せてあげてください。
ご自身が自由に生きてきた様に、お子さんにも自由に選択する権利があります。
また、叱らない親は多いですが、怒る親は多いです。
|
叱ると怒るとはまったく違うことです。
叱るとは親の自我を入れず、子供の幸せだけを考えてやってはいけない事や、人として間違った道や行為を悟すことです。
その叱りで子供の反発を買い、一時的な恨みを買ったとしても、それはこの上なく大きな無償の愛なのでカルマにはなりません。
但し、一時的に仲は悪くなるので、そこにお互いの学びが発生します。
しかし怒るという行為はその人の感情を相手にぶつけているだけなので、叱るという行為とは正反対です。
子供は未熟ですが、親も未熟なので、共に育たなければなりません。
道を外れないように大きな愛で厳しく見守ってあげてください。
それを行うことによって素晴らしい徳が積まれます。
正しく素晴らしく育った子供が社会に出て世の中の役にたてば、我が子の徳分にも親の徳分にもなります。
なかにはウチは放任主義だ!とおっしゃる方がいらっしゃいますが、それは子育てを放棄しますと雪州にはきこえます。
(おそらく良識のある方々にもそう聞こえていると思われます。)
もしお読みになっている方でこの非発展的なお考えをお持ちの場合、改められることをお薦め致します。
別にそれが悪いという訳ではありませんが、発展的な考えや行動ではないので、貴方の人生が台無しになってしまいます。
人徳で一番最高に徳分が積めるのはカルマの解消法にも触れましたが、地球に貢献(環境改善や、環境保護)や人々の役に立ち、喜んでもらえるような商品を作ったり、愛に溢れた行為を行っていく事です。
スプーンで土運び(塵のような行いを積み重ねる)か、大きなスコップで土運びするのかは貴方次第です。
森林への愛、川や海への愛、大地への感謝、人々への切実な感謝と祈りです。
風神の術!(/^^)/ビュゥゥゥゥξξ (+_+ /)/ヒェ~~ |
ハッキリ言って、木を植えてください。(笑)
これホントです。(^∇^ )
それが出来なくても、大地や草木に向かって感謝を強く伝えることは出来るはずです。
どうしても晴れて欲しい時に晴れに恵まれない方は、生まれ持っての地徳がありません。___ψ(‥ ) カキカキ
逆に、自分がこの日は晴れて欲しい!と切望している日に晴れる方は、前世からの地徳を受け継いでいます。
(神徳・人徳でも前世からの積み上げが受け継がれます。)
林業の方は森林を伐採したらそのぶん植林しなければ、ちょっと人生えらい目に遭います。
漁業の方でも同様に植林をしなければなりません。
(山から川に流れ出るプランクトンは、いずれ海に流れ出て海の食物連鎖を生み出すからです。)
太古の漁といえば、冷凍保存が出来ないことから、その日に行われる物物交換の分と、家族が食べる分、時として訪れる飢饉に備える干し魚用だけでした。
そしてその漁の安全と恵みに対して、神への祈りとお供えが丁重に行われていました。
ところが現代では、欲が出て捕れる時にはここぞとばかりにこっぺり捕ってしまう為、植物連鎖のバランスが狂ってしまっています。
自然が相手の場合、なんでもほどほどにです。
林業の方も漁業の方も、そして畜産業の方が年齢よりもかなり歳老いて見えるのは、一生懸命働いているからでも苦労しているから故ではありません。
生命を破壊してゆく代償として自分の氣が削がれて枯れてゆくのです。
現在日本では材木が不足、もしくは森林を保護しているため、海外からの輸入に頼っている種類のものが多々ありますが、その輸出している国々は輸出して稼ぐ事ばかり考えて、植林を一切しませんでした。
その結果、大津波だとか大地震、大洪水なる大惨事を招いています。
陰陽バランスが崩れる訳ですから、当たり前のように帳尻合わせが起きる訳です。
(地球規模で考えると、その場所で起こるとは限らず、何処かにしわ寄せがゆきます。)
発展途上国に見る共通することは、自分のことしか考えない民族であるということです。
ある程度の譲り合いと調和、心配りが大切です。
みなさんが怖がる厄年も同じなんです。
貴方が今までやって来た事のしわ寄せが来るだけの話なんです。
自分の欲の為に人を多く泣かせたり、理不尽な行いをしていると、身体にしわ寄せが押し寄せるだけでなく、自分の大切なものが奪われます。(お金が大事な人はお金、子供が大事な人は子供の健康を奪われたりする等、様々なことが挙げられます。)
厄年だから氣をつけたほうがいい・・・とおっしゃる方がいらっしゃいますが、厄年を迎えて氣をつけるというのは、時すでに遅し!というものです。
話が逸れたので元に戻しますが、山まで歩いて行けなんて言いませんので、1本でもいいから真心の植林をしてください。
真心というのは、自分が助かる為にする行為ではなく、地球が元氣になる為にです。
私達は地球にとっては細胞のひとつにしか過ぎません。その部分に氣がつかなければ、悪性腫瘍の元となるガン細胞のような存在でしかありません。
|
神社の御山へ苗木奉納として代理でも構いません。地球の繁栄を願って苗木を行ってください。
・・・とは言うものの、 ヾ( ̄o ̄;) 植林を常に行うことは不可能であり迷惑なので・・・、( ̄_ ̄|||) 車に乗っている際や、歩いている際では、心の中で大地に感謝を伝えたり、目にする草木や川、海、空、天候といった自然に感謝の意を向けましょう。
そこに感謝の氣持ちがあれば、素晴らしい徳分が積めます。
誰かに感謝されなくても、褒められなくても、神様は必ず見ていますよ。
ドウジョ おつかれさんでした。・・・(  ̄ー ̄)_旦~~~ ホホホ
全ての方に幸多きことが訪れるといいですね! (〃⌒ー⌒〃)∫ |
金運・恋愛・仕事・対人関係といった、生きる上で関わる悩みを気付きから幸運に導くスピリチュアルな話 |
|
|
|
|
|
Copyright (C) 雪州の足跡 All Rights Reserved |
|
|